(い)のブログ

たま~に書きます。

赤ちゃんドライバー🚗「運転が怖いよママ」

皆さんこんにちは。

最近生活リズムが乱れがち、(い)です。

 

今日は「車の運転が怖い!!」という話をしたいと思います。

 

運転に苦手意識を持つ方々に、「下には下がいるな~」と少しでも安心してもらえたら嬉しいです。

既にブンブン車を乗り回してる紳士淑女の方々におかれましては、「そっか運転苦手な人もいるんだ~」ということを再認識していただき、なお一層の安全運転に役立ててもらえれば幸いです。

 

それでは、

 

赤ちゃんドライバー🚗「運転が怖いよママ」

 

はじまりはじまり~↓↓↓

 

 

―――――

 

 

これは自慢だが、今まで分かりやすい挫折を味わったことがなかった。

大抵のことは人並みにこなせる自信があった。

そんな私は昨年11月末、自動車学校に入校して初めて挫折の味を知る。

 

運転できないんだけど!!??

 

まずシートベルトの締め方を間違えていた。阿呆である。

「優等生ですけど?」みたいな顔して20年間シートベルトを誤って使用していた。

本来なら肩の上に巻くべきシートベルトを、何故か脇の下に通していたのだ。

こんなの急ブレーキかければ内臓がギュッてなること間違いなし。下手したら投げ出されていただろう。

なぜ誰も教えてくれなかった。そんなに私に興味ないのか。

 

そして運転教本を読んで驚いた。

発進の手順がこんなに多いとは思わなかった。

ボタンひとつで動き出すと思ってたのに・・・。

自動車という機械の性質上しょうがないんだろうけど、それにしても多すぎんか?

ガンダム第1話、アムロが「こいつ、動くぞ」と初見でガンダムを発進させるシーンがあったが、いま考えると狂ってやがる。

知らない乗り物を勢いで発進させるんじゃありません。

 

そもそも運転装置の仕様が分かりづらい。

まずハンドブレーキ

引いたら進まない、下げたら進むという仕組みをなかなか覚えられなかった。動く/動かない、とかにしてくれ。ハンドブレーキかかってるときに警告灯がつく仕様もよく分からない。逆じゃね?かかってるときの方が安心じゃん。

次にチェンジレバー。

P、N、Dは分かる。Rがピンとこない。バックするときに使うんだからBでいいじゃん。なにがリバースだよカッコつけんな。一番ダメなのはお前だL。なんで一番強いエンジンブレーキなのにローなんだよ。ふざけんな。

そしてハンドル。

自分がどれくらい回したか分からないのがツラい。教官が言う「ハンドルを整える」っていう動作を理解するのに時間がかかった。みんなどうやってタイヤの向きを把握しているんだろう。感覚?おっそろしい。

最後にアクセルとブレーキ。

なんで真逆の機能を隣同士にした??いつか踏み間違えるに決まってんだろ。

 

運転席が右側にあるのもおかしいと思う。

こんなの真っ直ぐ走れるわけない。

なんだよ車体感覚って。

見えないものを見ようとするなよ無茶すんな。

 

 

―――

 

 

車体の仕様に関する愚痴はここまで(車作ってる人、ごめんなさい)。

色々と書いたけど言ってしまえばそんなの慣れれば済む話で。

本当に私に苦手意識を植えつけているのは心的要因、つまり自分の内外に存在する矛盾や違和感だったりする。

むしろここからが本題。

 

 

①「車は危険だと理解しているその頭で運転する矛盾」

 

入校して最初に無理だと感じたのは学科と技能の落差。これにかなり苦しめられた。

 

学科で悲惨な事故の話を聞いた後はとても運転する気になれなくて、頭の切り替えにエネルギーが必要だった。

我が子を轢いてしまった母親の話を聞いたときは車なんて無くなればいいと思ったし、事故加害者の妻が遺した遺書を読んだときは、自分が運転していることに対する恐怖がなかなか消えなかった。

 

自分が事故を起こして、人を死なせてしまって、遺族に頭下げてお金払って、そのうち耐えられなくなって最悪の選択をしてしまうまでの流れがかなりハッキリとイメージできてしまうから恐ろしい。

 

路上で車線変更のタイミングを間違えて危うく後続車と衝突しそうになったときは、その後2日間くらい寝込んだ。

人を轢くイメージが更に強くなった。

車のCM見ただけで涙が出るようになったときは「あ、これはヤバい...」と焦った。

 

誤解がないように書いておくと、私はどちらかというと楽観的な人間だと思う。決して心配性ではないし、普段はなんとかなるさ精神で生きてる。

 

たださ、他人の命が関わるなら話は違うじゃん??

ナイーヴにもなるじゃん??

 

 

②「なのに周りは結構フツーに運転してるじゃん??という違和感」

 

これもしんどかった。

 

私はこんなに人を轢く恐怖に苦しみながら運転しているのに、周りは案外ケロッと運転しているという事実。自分と周囲とのズレ。

 

高校生の時、勉強が嫌すぎて車を気持ち悪いと感じたことがある。

高い場所から道路を見下ろしながら、

(何で人間は金属でできた箱に乗ってビュンビュン走ってるんだ...歩けよ...そうやって利便性を求めて文明を発達させるから勉強しなくちゃいけなくなるんだろ...歩けよ...)

とか思ってた。

その後すぐ、この文明を排除しようとする思考がどっかの国の独裁者と同じだと知って慌てて正気に戻ったけど。

 

今は単純に、皆が当たり前に運転しているという事実、ドライブは楽しいものだという風潮が気持ち悪い(助手席なら楽しいけど!)。

車がないと不便な世の中にも腹が立つ。

運転”すら”まともにできないという劣等感も相まって、苦手意識を増長させてしまった。

 

こうなればもう手遅れだ。

恐怖や苦手意識、劣等感にまみれ、尊大に構えた赤ちゃんドライバーの誕生である。

 

ばぶぅ(運転したくないよママ)

 

 

―――

 

 

思えばこれまでの人生、私は運転席以外の場所で生きてきた。

 

後部座席から親の機嫌をうかがっていたときも、バスで寝ながら学校に向っていたときも、部活のみんなとレンタカーで遠征したときも、

 

「他人の命に責任を持つ」という感覚からは無縁だった。

誰かに命を預けて揺られていれば目的地に辿り着けた。

できることならずっと後部座席に座っていたい。

 

でも、でも...

「他人の命に責任を持つ」ことが大人になることなら...

誰かを目的地に連れていけることが大人になることなら...

 

私は腹を括って、赤ちゃんドライバーを卒業しなくてはならない...!!

 

ぶひぃっっっ(泣)!!!

 

 

―――

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

これは余談になりますが、今回のタイトルは『ベイビー・ドライバー』という映画からとりました。

天才的なドライビングセンスを買われて逃がし屋として働く少年ベイビーが、素敵な女の子と出会い、命がけで組織を抜け出す決断をする...みたいなあらすじです。

軽快な音楽に合わせて繰り広げられるカーアクションや銃撃戦、ベイビーの表情が最高なので是非。

(主演アンセル・エルゴートの性的暴行疑惑が複雑だけど...作品は面白いので...ウエストサイドストーリーもいつかは観たい...)

 

ベイビーみたいなカッコイイ運転はできないけど、無事故無違反でゴールド免許もらえるように頑張ります。

 

最後にひとつだけ。

 

飲酒運転と煽り運転はマジで滅びろ!!!

 

ドキドキッ❤青春メモリアル~金色のボタンを添えて~

はじめまして、(い)です。
口数は少ないが頭の中ではグルグル考えてるタイプのオタクです。
その頭の中のグルグルを消化すべく、ブログに挑戦することにしました。
基本頭が沸いてるので、今回のようなふざけたタイトルばかりになるかもしれません。間違っても生産性など求めないようにお願いします。ラジオ感覚で読んでいただければ幸いです。

それでは、

ドキドキッ❤青春メモリアル
~金色のボタンを添えて~

はじまりはじまり〜↓↓↓


寒いですね〜
いわのんです。

もう2月に入りましたが、皆さん、初詣行きました?
わたしは年明けてすぐに家族と行ってきました。家族と神社に行くっていいですね。楽しい。実体のないものになんとなく手を合わせ、家族の無病息災をなんとなくお願いする。これぞ日本って感じ。いいお正月を過ごすことができました。

ところで、神社に行くと古い御守りをお焚き上げ?してくれる場所があるじゃないですか。
わたしはいつかそこに持っていこうと、お世話になった御守り達を小さな巾着袋にまとめてたんです。たしか数年前から。

で、初詣に行って、いざその巾着袋をひっくり返したら。

出てきたんです、

金色の、高校時代に片想いしてた先輩から貰った制服のボタンが。

「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙○○先輩ッッ!!!」

役目を終えた御守りたちの海に沈んでいくボタンを、叫びながら必死に捕まえました。
多分あの時のわたしはゾーンに入ってました。スローモーションに見えるって、本当なんですね。

(失くしたと思ってたのに!こんなとこから出てくるなんて!!)
(てかウチ、先輩のボタン御守りにカウントしとったんかい!可愛いなオイ!!)

興奮して取り乱しながらも、その日はしっかりボタンを持って帰りました。今も手元にあります。

過去のわたしに感謝御礼申し上げたい。よくぞ勇気を出して先輩に頼んでくれた。
灰色の学校生活だと思ってたけど、意外に青春してるじゃないか!

思えば高校時代、わたしの大事な場面は常にこのボタンと共にありました。
部活の試合、センター試験、二次試験などなど、勝負の日には必ず持っていきました。
握ると掌がじんわりと温かくなるような気がしたんです。そりゃ御守りカウントも納得です。

とにかく金色のボタンは、わたしにとって青春の象徴でした。

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さてこのボタン、いつか△△川に投げ捨ててやろうと思ってます。

△△川は私の母校のすぐ近くを流れる川です。川幅があって水深は浅め、澄んだ水が流れる、私の中で完璧な川です。川を渡れるよう飛び石があって、朝方にそこを渡ると水がキラキラと光っていて、本当に綺麗でした。その水をわたしは密かに「やわらかな水」と呼んでいました。

そんなお気に入りの光景に、わたしは思い出のボタンを放り投げたい!!

どんなタイミングで投げるかは分かりません。卒業、就職、結婚のようなこれからの人生の節目に投げるかもしれないし、何もかも嫌になったときに泣きながら投げに来るかもしれない。どちらにしろ、「このボタンを手放すとき」=「過去の思い出に頼らず独り立ちしたいと願ったとき」です。だっていつまでも縋るわけにはいかないじゃないですか。どうしようもなく強くなりたいと願ったとき、あの飛び石の上からポチャンと投げ捨てます。

少なくともそれは今じゃない。だからもうちょっとだけ、きれいな水にボタンが沈む情景をイメージしながら生きていたいと思います。

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ここまでお読みいただきありがとうございます。体力ありますね貴方。

皆さんの大事な思い出の象徴ってなんですか?よければわたしに教えてください。